当社の前身である小倉油脂(創業名:山桝硬化油製造所)は1920年代(大正後期)より魚油(イワシを絞った油)の水添および付随する石鹸、脂肪酸、グリセリンの製造を行っておりましたが、第二次世界大戦の戦斗苛烈な中、油脂統制による企業整備で日華油脂(現:J-オイルミルズ)に統合されることになりました。
その当時、戦員の疲労回復剤として必要であったビタミンCですが、原料であるソルビットは100%輸入に頼っており、戦時下で入手が儘ならなくなっておりました。当社は当時、欧米品を凌ぐ純度のソルビット製造法を作り上げており、軍部から強い製造依頼を受け、海軍監督工場として小倉市(現:北九州市)東港町に新たに創業することとなりました。
その後、終戦を迎え、工場移転、工場被災などの苦難の連続を乗り越えながら、油脂統制が解除されたことを機に、前身の会社から受け継いだ油脂加工の技術を活用し、油脂化学の分野に進出しました。
ソルビット及びその派生物の製造ならびに販売を目的として、小倉市東港町6番地の2に小倉合成工業株式会社を設立(資本金18万円)、海軍監督工場指定 ソルビット生産能力月産30トン
資本金を100万円に増資
工場を小倉市東港町7番地の2に移転し、ソルビット工場、糖化工場、水素添加設備を新設
工場火災により、ソルビット工場、糖化工場、倉庫を焼失
油脂統制解除後、当社は油脂加工を本業として、脂肪酸の高圧分解、硬化油(ワックス)の製造、グリセリンの製造を行って参りましたが、現在でも当社の主要原料となっている天然油脂である「ひまし油」を分解することで、プラスチック原料であるセバシン酸の量産に成功し、当社隆盛の起点となりました。
その後は、増設を繰り返し日本最大の生産量を(最大年産2,000トン)誇り、日本の高度経済成長とも相まって当社は大きく成長してまいりました。
油脂統制解除を受け、油脂分解、脂肪酸蒸留設備を新設し油脂加工を事業化
セバシン酸生産開始
セバシン酸初期生産能力年産100トン
その後1962年より1969年まで5度の増設を行う
1958年_昔の工場(消防訓練)
1960年代の工場全景
大阪営業所開設
北九州市小倉区(現:北九州市小倉北区)西港町にひまし油タンクヤード500klを新設 その後、1973年に500kl×4基体制となる
1975年、当社の敷地が都市高速道路敷設の用地に指定され、工場移転を行うこととなりました。新工場の竣工は1980年、現在の地(北九州市小倉北区東港1丁目4番8号)に移転し操業を開始、引き続き当社のセバシン酸は隆盛を極めておりましたが、競合品の台頭も目覚ましく、輸出増大を目的とした保税工場認可などを行いながら、会社としての事業変革を迫られ、当社の保有技術である高圧反応、水素添加、蒸留精製を活用し、顧客からの受託製造を開始することになりました。弊社の特異技術の需要は高く、顧客の要望に応え工場を増設しながら受託案件を増やし、当社の主要事業の一つであるファインケミカル事業として成長しました。
資本金を1,000万円に増資
1976年_小倉上空(中央下が当社)
現住所に本社・工場移転、試験研究棟新設
1980年_ボイラ設置
1980年_研究棟(竣工時)
1980年_新工場建設中
精密蒸留設備新設
1981年_水添装置
1981年_精留装置
保税倉庫・保税工場許可取得
パイロットプラント新設
ひまし油タンクヤードに1,000klタンク増設
1995年_西港タンクヤード
ISO9001認証取得
資本金を5,000万円に増資
1990年を境にバブル崩壊後の平成大不況、リーマンショック、コロナウイルス蔓延など多くの災難が私たちに襲い掛かり、事業環境の非常に厳しい時期が続くこととなります。しかしながら、私たちは戦時の動乱から数々の大きな困難に直面しながら、それを乗り越えて今日に至りました。それは多くの技術と工夫、経験と困難に負けない力を礎に天然油脂を生業としていた創業当時からのアイデンティティを引継いできた結果であり、これからも地球環境を守りながら人々の生活を豊かなものにするため、新たな未来に向かって日本のみならず世界に向けて革新と新たな価値の創出を続けていきます。
創立70周年
精密蒸留塔新設
高圧水添設備新設
高圧水添装置
大阪営業所移転